2013年03月03日の段、Episode.I!「物事を相対的に見る」

これから述べることは、難しいことを言っているように聞こえるかもしれない。
しかし、後述の文章は、読解力という観点から下記のような人を対象としたものである。
高卒後の進学を
●「少なからず志した」、
●「(受験したしないに関わらず)受験に向けて勉強をした」
●「受験した(が結果は関係ない)」
●あるいは高卒後、家庭の事情などで就職せざるをえない状況にはあったが、
それが必ずしも「あるべき姿」ではないと意識していた。

逆に、下記のような人は対象外である
●高卒後、就職しか視野に入れていなかった人
●先輩の母校訪問とかの勢いで先輩の会社に入社しちゃった人

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「物事を相対的に見る」

という言葉がある。
極めて理科系に聞こえるかもしれない。
しかし、たにぐちさんは至って文系の人である。
相対性理論など知ろうはずもない。

コンピュータ関係の仕事をやってはいるが、コンピュータとはただ「論理」という文系の観点で向きあっており、理科的な観点では付き合っていない。
たとえば下記は、たにぐちさんが日々、お客様と会話する内容の一例である。

「コンピュータがこれこれこんな動きをする、どこそこが悪いと推定されます、こう直すのが良いでしょう」
「ここの設定を変えると(結果としてお客様の困っている事象は)改善する、これで様子を見てくれませんか?」

上記のとおり、どこにも数学・物理が出現しない。
※裏を返すと、即ち「数学的なプログラムは組めません、アルゴリズムとか知りません」

前置きがすごくすごく長くなってしまったが、とにかく
「身構えずに読んで欲しい」
ということである。

以上の前提でここからが今日のメインテーマ

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「物事を相対的に見る」
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たにぐちさんは「物事を相対的に見る」ということを、
ただ単純に「緩く捉える」
ことと定義している、ということをお話したい。

例を下記に示す。

少し前に、「北の国」で日本がサッカーの試合を行った折、邦人サポーターは狭いところに追いやられ、
邦人サポーターの応援の声は現地のサポーターの声にかき消され、挙句日本チームは負けてしまったという事案があった。
(事件という言葉よりも敢えて少し緩い、事案という言葉を使う)
これは確かに、ニュースの伝え方もあって、確かに酷い出来事であったと、思えなくもない。
真の(英語で言うところのgenuineの)サポーターはハラワタ煮えたぎる思いであろう。

ここで、「北の国」に対する憎しみをグッとこらえて物事を相対的に見たい。

BS1などを見ると、メジャーリーグの球場って、びっくりするくらい静かである。
ここでまっとうな学生さんが立証するには一定の条件を設け、騒ぎの度合いをデシベル値などでサンプリングしなければならないのだが、たぶんテレビを見れば分かる。

このメジャーリーグの連中が日本の球場で試合をしたとしたら、と想像する。
甲子園球場など、
四六時中ラッパを吹いている、
メガホンを叩き合っている
大きな旗が舞っている
笛つき風船が飛び交う
メジャーの連中がアレを見たら、そりゃもう戦意喪失しても仕方ないよなぁ。

と、たにぐちさんは考えるのである。

これがたにぐちさん流「物事を相対的に見る」=「緩く捉える」である。

以上のことを、特定の誰かに何かを伝えたい、ということはない。

ただ、こうして物事を緩く捉えるというスキルを持っておけば、
心の中になにか「どす黒い」何かを抱えてしまったときに、消化する一助になる。
そう考えるのである。

2000年あたりから、インターネットなるものが「ご家庭」に流布し始め、
今やつぶやき、なる文化が浸透し始めたいま、
こんな長文を書くということが、人格そのものを疑われかねないリスクがある
ということくらい、分かっている。

その上で、記録として残しておきたかったのであるよ。

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名前:たにさん or たにぐちさん
職業:むかし、元オタク
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