2014年03月09日の段、Episode.I!「なんと滑稽なことか」

震災から3年を前にして、メディアはその話でもちきりである。
政治家、指導者、立場は様々だが束ねて責任者と呼ぼうか。
彼らの判断の誤りで命を落とした人々の話題は格好の批判材料である。
批判をすると、人は気持ちよくなる、癒されるのである。

しかし、そのような人間の性(さが)を認めるとしても
「私なら(これこれ)できた
 あんなバカなことはしなかった」
と口にするのはよくないと思っている。

児童たちを救えなかった教師をアホだバカだと批判するなら、
自ら教師になってお手本を示すべきだろうよ。
ただ、万が一それを実現したとして、その教師たちに対して誇らしげに
「どうだ見たかすごいだろう」
と言い放つ様を想像すると、なんと滑稽なことか。

仮定をするのは無意味であるが、山に逃げたとよう。
結果、山が崩れて全員死んだとしたら
「できることは全部やったけどダメだったね、でも頑張ったね」
と、教師たちを褒めてやれたのだろうか。
「山崩れの危険性は以前から指摘されていた」みたいな方向になったのではないか。
学校の屋上が一番安全でした、みたいなことにもなったのではないか。

実は同年、紀伊半島で発生した豪雨災害でも人災と呼ばれている案件がある。
具体的な記述は避けるが、
「あの”弁”は開けるべきだったのか?
 それとも開けざるべきだったのか?」
という問題である。

それはもう結果だけみれば、開けるという選択は、その企業の保身のための選択で甚大な被害をもたらした。
しかし反対の選択をすることによって
「絶対に何もなかった」
「被害はより小さかった」
と、誰が言い切れるのだろう。

「私なら開けなかった」
責任を課せられた人間が判断を下す、という性質のことを、たかがお茶の間から好き放題。
お茶の間だから好き放題言っていいとは、たにぐちさんには思えない。

この記事は、結果的に誤った判断をしてしまった人たちを擁護するものではない。
言いたい放題の連中を反面教師とし、報道に踊らされぬよう自分自身をも戒めるためのものである。
いろいろと愚かな判断や出来事が多かった3年間かもしれないが、そういう思いで生きている人間も、世の中には最少で1人はいる。
そういうことを述べておきたい。

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職業:むかし、元オタク
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