2014年03月23日の段、Episode.I!「、と受け取れなくもない」

まず最初に、たにぐちさんはあらゆるスポーツの中でも特にサッカーに興味がないことを述べておきたい。
その前提においても、本日出された下記の宣言に違和感を感じずにはいられなかった。

サッカーはスポーツや社会から差別を撲滅する力を持っています。

サッカー以外のスポーツの中には、差別を撲滅する力がないものもある、と受け取れなくもない。
差別撲滅宣言と銘打っている一方で、よそのスポーツを思いっきり差別しているような表現である。
実態はどうあれ、「あるべき論」としては全てのスポーツがあらゆる「しがらみ」とは無関係であるはずである。
どうしてこのような違和感のある文章になってしまったのだろう。

たにぐちさんは日ごろ、下記のような考えをもって生きている。
「すべての人は当然不完全であるが、
 役割をもって社会に生きている(のが望ましい)」
つまり、自らの志し・興味・好奇心・技術・特技・専門性、どのようなきっかけでも社会に貢献していればよい。
社会に貢献というと少々大げさだが、誰かの笑顔のために活動することの全てであると捉えていただいて差し支えない。
下記はその一例である。

例)一流大学の学生が初等教育の問題が解けないこともあるが、成果を修めていれば別段問題ではない。
(もちろん、解けるにこしたことはない)

以上の考えをサッカー選手にあてはめる。
極端にいえば
「サッカー選手はサッカーのことしか知りません」
という主張を100%受け入れられると仮定する。

であったとしても、冒頭の宣言は下記のような「あんばい」になったのではないか。

サッカーというスポーツは社会から差別を撲滅する力を持っています。

この手の宣言は組織の中で「よく揉まれる」のが通例である。
あれほどの組織であれば、文章を推敲するための専門要員が複数いてもおかしくないだろう。
よくよく検討された結果のはずである。
他意は排除されているはず。
にも関わらずこの違和感。

ここまでくると、たにぐちさんがひねくれている、と考えるのが妥当だろうか。

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