可能性の1つとして考える、心に留めておく

先に述べたこととも関連する。

物事を「いったん疑ってみる」、ということをする人々が、本当に少なくなったように思う。
いや、もともと少なかったんだろうか。
人々はとにかく、目の前で起きたこと、報じられたこと、脳に入ってきたことから導きだされる不快感に頭ごなしに不満をぶちまける。
たにぐちさんは、そういうのが、あまりいいことではないように思う。

「いったん疑ってみる」
と述べているのは、目の前で起きている事象が、本当に当事者の悪意やヒューマンエラーだけによるものなのか、「ひと呼吸おいて考える」ということである。
警察、救急、消防、医療、介護などなど…。
まとめると人命に強く関わる人たちは、こういう考え方をしているんじゃないだろうか。
「現場」を見て、「当事者」を見て、さらに「周囲」を見る、もっと言えば天気や世の中全体を見る。
例を挙げれば、
誰も気づかないくらい短時間・局所的に降った雹が事故を誘発したかもしれない
どこかの株が大暴落して銀行に駆け込もうとしたすごい大人数の一部で衝突事故が起きたかもしれない
というようなことである。
(もちろん、だから当事者に責がないということではない)

一般市民にとってみれば、

オレたちはそんな大げさな立場じゃないんだから、そんな考え方はしなくていいんだ

ということになるかもしれないが、何も考えずにただ不満をぶちまけるというのも、やはり胸を張れることとは言い難い。

いや待ちたまえ。
このように短絡的な思考しかできなくなっていること自体を「いったん疑ってみる」という考え方に当てはめてみてはどうだろうか。
人々の思考が後退しているのではなく、テレビのニュースや新聞が驚くほど巧妙に「起きた事象」だけに頭が働くように作られているとしたら…。
さすがにここまでは考えすぎだろうか。

今まさに発生している異物混入の件であるが、例えばM社の記者会見にあたった2人の印象があまりに悪く、さらに代表者不在という事態がM社に対する世間の不快感を助長している。
実際、あの件は「企業の中に閉じたエラー」という結論になるだろう。
M社を救いうるどんな新事実が分かろうと、消費者の皆様には「私たちが悪うございました」で通しておく、ということである。

ただ、一般市民のたにぐちさんは、つまようじボーイのような第3者の悪意の介在があるということを、いったん疑っておく。
可能性の1つとして考える、心に留めておく、ということが重要である。

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名前:たにさん or たにぐちさん
職業:むかし、元オタク
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