06月22日の段、Episode.I!「信じている、正しい、とは」

これから述べることは、くだらない言葉遊びである。
難しい内容に見えるようで、きわめて幼稚な内容である。
また、文中において「彼」と呼んでいる人物は特定の誰かでもないし、男女がはっきりしているワケでもない。

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「自分が正しいと信じている」人がいるとしよう。
これが「彼」である。
彼を周りから見たとき、
「彼は自分が正しいと信じている」
と言うことができる。

この段階はまだ平和である。
「信じている」という表現自体に自信のなさが出ている。
内心、彼が正しいとは思ってない周りの人々も、彼に何かあれば助けてやれる余地もあろう。

ここで、それぞれの「正しい」を定義づけておきたい。

周りの人々の「正しい」は、
俗世間にマッチしている、という意味の正しさである。
朝起きて、夜寝る、それが世の理(ことわり)であるとしている。
基本変わらない毎日を過ごすが、その中で結果として変化が生まれ、個性が生まれる。
また、それを意識していない(←ここが重要)。

一方で彼の「正しい」は、周りと同じであることを許さない。
変わらない毎日を許さない。
周りと同じが許せない。
自ら意図的にでも変化を生み出さなければ気がすまない。
人とは異なることが個性であり、美徳である。
それを強く意識している(←ここが重要)。

次元の低いたとえ方をすると、
「私は夜のほうが仕事がはかどる」とか
「オレ、雨のほうが速く運転できるっス」
なんて人間もこちらに分類される。

さて話は戻って、「彼」が次の段階にレベルアップしたとしよう。
つまり、「信じている」に含まれていた自信のなさがなくなるのである。

彼の
「自分が正しいと信じている」

「自分こそが正しい」
へと変貌をとげる。
わが道を行くだけでなく、自分以外の気に入らないものすべてを否定する。

そんな彼を周りの人は
「彼が正しい
 (んだからどうしようもない)」
と表現せざるを得ない。

彼はこれから先、どうやって暮らしていくんだろう。
本当にその道で成功すればいい。
人類の長い歴史の中で大きな変革を起こしてきたのは、恐らく「彼」のような人間たちである。

しかし、変革を起こせる確率は100%ではない。
信念を打ち砕かれるほどの出来事に直面したとき、彼は誰かに助けを求められるだろうか。
周りは「自分こそ正義」と定義づけた彼に、手を差し伸べてやれるだろうか。
彼は、差し伸べられた手を取ることができるのだろうか。

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